HOME > 展示会の最新事情 > 【第14話】「ランク付け」という誘惑(2):その根にあるもの

【第14話】「ランク付け」という誘惑(2):その根にあるもの

栗原 毅
 
電通MS事業局スペースブランディング室プロジェクトディレクターマーケティング局、メディア開発局を経て1989年~1994年電通ドイツ出向。
商業放送衛星計画作成に参加。 1998年~2001年ハノーバー万博MSOGmbH出向。同万博事業計画作成に参加。
2001年イベントスペース開発局。来場者の心理変化を指標としたイベント効果測定手法の開発に参加、現在も同作業を継続中。
共著「デジタル集客術」同友館 「イベント学のすすめ」ぎょうせい
 
【 展示会の最新事情 】
 

 前回は、ランクは外で作成されるもの、それをうまく使いこなすには、内側にしっかりした自分自身の評価基準を持っている必要があるということをお話しました。  ランク付けに限らず、私たちの日常でも、自分で確かめたのではない評価づけを、なにとはなしに鵜呑みにしてしまうことは良くありそうです。 テレビで報道されたから正しいだろう、とか、ネットでみんなが言っているから、とか、XX氏の言ったことだから間違いないだろう、などなど、自分でも心当たりのあることが思い浮かびます。

 外部で作られた判断基準を鵜呑みすることに対しては、400年も前にデカルトが「市場のイドラ」と名づけて痛烈に批判しています。ものごとはきちんとした根拠を確かめてから判断しろ、ということです。さすが近代科学の始祖。

 鵜呑みは楽  

 一方で、私たちの自然な気持ちを考えると、そもそも外部に判断を委ねるというおこないは、ごく普通で容易なことです。自分で情報を集めて検討、判断するという手間はなかなか面倒くさい。どこか「信頼できる人(団体・機関)」の判断を受け入れてよいなら、こんなに楽なことはありません。「我々日本人は特に安易に権威に身をゆだねる国民である」などという主張がもてはやされた時期もありました。戦後議論百出した「自我なき日本人」論を含め、この領域の社会心理学的な分析は「菊と刀」「自由からの逃走」などをはじめ枚挙に暇がありません。

 情報洪水が招く真偽不詳  

 さて「情報の鵜呑み」問題についてはもうひとつ、情報の信憑性の見分けがつきにくくなっているという状況を考えねばなりません。現代のような情報環境で、ある主張や判定の根拠・出典を探ろうとするのはむずかしいわざです。何事でも、ちょっと確かめようとすると、子引き孫引きの山や流言、怪しげなネット調査結果にぶつかって、はっきりした根拠がわからない場合が実に多い。どのデータや情報が正しいのか真偽不詳のまま感覚的な主張や感想が先行してしまいがちです。 我々のリテラシー能力が情報量に追いつかなくなっているわけです。現代日本の情報量は江戸時代の10000倍に達しているという試算があるそうですが、デカルトの生きた時代はちょうど江戸初期ころ。彼が現代に現れたら、10000倍の情報に遭遇することになります。「根拠を確かめる」どころではないでしょう。

  我々は確かめるすべのない情報に取り囲まれているのです。  2009年春、新型インフルエンザがすわ猖獗を極めそうだ、という状況下、担当大臣氏が「正しい情報に基づいて冷静に判断してください」と機会あるごとに繰り返していました。これを裏返せば、今の世の中では「正しい情報を見極める」という作業が相当難事であることをあらわしているといえそうです。

  ************  話がやや大げさになってしまいましたが、イベント評価のランク付けというささやかな領域でも、同じ用心が不可欠でしょう。外部ランクを利用することは結構なのですが、そのランク自身が説得力のあるものかどうかを吟味したいものです。できれば自前の価値基準に基づいた自前の情報を、外部ランクに対する対照情報として用意していただきたい。これらの情報の合致点や相違点の検討などの相互作用を通じて、イベント効果に対する意識が高まり、業界全体での説明責任が果たされてゆくのではないかと考えています。