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栗原 毅
電通MS事業局スペースブランディング室プロジェクトディレクター
マーケティング局、メディア開発局を経て1989年~1994年電通ドイツ出向。商業放送衛星計画作成に参加。
1998年~2001年ハノーバー万博MSOGmbH出向。同万博事業計画作成に参加。
2001年イベントスペース開発局。来場者の心理変化を指標としたイベント効果測定手法の開発に参加、現在も同作業を継続中。
共著「デジタル集客術」同友館 「イベント学のすすめ」ぎょうせい
私の仕事は展示会の意匠と心理変化を探ることですが、他の種類のイベントの効果について考えたり、関係の方々のお話を伺う機会もあります。中でもスポーツイベントやコンサートなど、コンテンツ系とよばれるタイプは、展示会の性格と比較するといろいろなことがわかってきて面白いものです。
特に、訪れるヒトのココロネと提供されるコンテンツとの関係という視点から眺めると、イベントは「管理(コントロール)」ということを巡って、スポーツイベント的な特徴をもつタイプと展示会的な性格が強いものと、大きくふたつに分かれるような気がします。
今回は「展示会的なものVS スポーツイベント的なもの」についての戯論をお聞きください。
偶然性と計画性 -スポーツと展示会の差-
スポーツイベントは「現場で何が起こるかわからない」ことが魅力の本質です。主催者も演者(競技者)もコンテンツの魅力をコントロールできません。だからこそ観たい。
たとえばマラソンがこの性格をいちばんはっきりと示しています。「コンテンツ」はただ走っているだけ。それ自体が面白いものではない。華麗なる演技もすばらしい早業もないのに、しかしヒトをひきつける。ランナーへの共感に支えられた「現場のハラハラドキドキ」だけでできあがっているのがマラソンです。ハラハラドキドキを失えばマラソンの魅力は過ぎ去ってしまいます。だから、マラソンを録画して観るひとはいません。
マラソンほど純粋ではありませんが、他のスポーツも「ライブ(現場で一回限り)であること、演者に感情移入できること、結果が予測不能であること」が魅力の本質といってよいでしょう。
一方で展示会は、ほぼ正反対に位置します。コンテンツは商品情報でライブとはほど遠く、演者への感情移入もない、予測不能など許されない。展示会のステージ演出ではライブ感、感情移入への努力は無論怠りませんが、それらは精緻な計画に基づき、管理されているのです。
すべての商品提示や演出は「事故があってはならない」ことを前提としています。商品機能の説明や実演は、(裏方でどのような苦労があっても)来場者の前では完全なものでなければなりません。
この点が音楽やスポーツイベントと決定的に違うところです。ハラハラドキドキが発生する余地がない。その制限の中で来場者を「巻き込んで」盛り上げたい。制作者が苦労するところです。
意匠の管理度と訪れるヒトの気持ち
これらの性格分けを試みに図示すると下図のようになるでしょうか;
・上下の軸は コンテンツが主催者の意思でコントロールされているかいないかで大雑把に分類するものです。
・左右軸は訪れる人々の気持ちです。比較的クールに第3者として見物する場合と、共感形成が重要なものとに分かれます。前者を「来場者」、後者を「参加・共感者」と名づけました。
すると、たとえば図の右上には「提供コンテンツが主催者の意思で管理され、それを喜んで受け入れる人々が対象者」となるイベントが位置します。趣味の会や政党集会など同一目標を持つ人々の集まりです。企業イベントの中では会員向けのパーティや社内用イベントなどがはいるでしょう。
展示会とスポーツはまったく対極に位置することになります。「巻き込まれていない」クールな来場者を相手にコントロールされた情報を提示する展示会と、ホットなファンに向けて結果予測不能な競技を提供するスポーツ。訪れるヒトのココロネも、提供されるコンテンツもまったく異なっているわけです。
<意匠の管理度と訪れるヒトの気持ち>
ムラタセイサク君
しかし、管理的要素と偶然要素をクロスオーバーさせる、まれな現象が起こりました。
CeatecというIT展示会があります。いくつかのエレクトロニクス関係の展示会が2000年に統合されたもので、ベルリンのIFA、ハノーバーCebitなどと並ぶ、世界的な展示会です。今年も10月初旬に開催され、約20万人の来場者でにぎわいました。
昨年からこの展示会に登場して人気を集めているのがムラタセイサク君です。外部からの操縦によらず、バランスを保ちながら自力走行、倒れずに静止していることすらできるという自転車+ヒト型ロボットです。(以下の写真はホームページから拝借しました。転載の責は筆者にあります。)
http://www.murataboy.com/
<ムラタセイサク君の勇姿>

昨年は平坦な一本道を倒れずに走る、というだけのパフォーマンスでしたが、今年は大幅にバージョンアップしました。白衣をまとったMC(案内役)と、おそらく生みの親でしょう、技術者の方々が付き添うなか、中空に伸びるカーブした坂道をセイサク君が登ります。パフォーマンスのフィニッシュにはバックで車庫入れまで披露します。
<ステージ上のムラタセイサク君>

一心不乱に、ゆっくり坂を登る彼を「がんばれセイサク君、あと少しです」などという具合にMCが解説、応援します。
演出のやりかたとしてはごく一般的なもので、技術を製品(商品ではない)に結晶化させ、動態展示するという範疇に入ります。
私が見たときは、なるほど、すごい技術だなあとは思ったものの、まあ規定どおりよくやった、たいしたものだな、程度の気持ちで会場を後にしました。普通の展示会の普通の演出としての感想しか持たなかったのです。
ぐらり で、ハラハラドキドキ
ところが、面白いことが起こりました。
残念ながら私は現場におらず、偶然その場に遭遇した同僚から聞いたことですが、ある時、もうすこしで坂を上りきるところで、セイサク君がぐらりとよろけ、落下しそうになったというのです。
彼にとっては落ちれば大けがをする高さです。
「一瞬みんな固まりましたよ」とは同僚のことば。
そばで待機していた白衣の「生みの親」スタッフがさっと両側から支え、ことなきを得たということですが、この「事故」を境に雰囲気ががらりと変わりました。
事故(?)にもめげずがんばるセイサク君を、観衆はかたずをのんで見つめていたそうです
同僚いわく、
「ぐらりっときたあとは、さすがに最後まで眼がはなせなかったですね。お客さんは一人も帰らなかったんじゃないんでしょうか」
「無事車庫入れが終わったら、大拍手ですよ。」
私はこれを聞いて あ こりゃスポーツだ と思いました。
偶然起こった想定外の事故によって、状況と演者への共感、ハラハラドキドキが出現したのです。
これまで展示会でも、偶然性、意外性を演出して「来場者の巻き込み」を図ったと思われる意匠はいくつかありましたが、私の見るところ成功していません。展示会意匠の本質はコントロールです。管理が偶然を嫌うのです。
今回のCeatecでもセイサク君の同類ロボットはいくつか紹介されていましたが、いずれも予定調和の枠内で、できることを謳う(掃除ができます、おはなしができます、ガイドができます)ものばかりでした。
ムラタセイサク君はしゃべれませんし、掃除もできませんが、失敗してもいいからできないことに挑戦するという姿勢をアピールして、ホントウに失敗しそうになるという、たくまざる営みで来場者を共感者に変えることができたのです。
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展示会でスポーツのようなハラハラドキドキを目指すべきだとは思いません。コンテンツの性格も来場者の気持ちも決定的に異なっています。
しかし、情報伝達より、共感形成のほうがよほど強くココロネに響くのだということは強調したい。展示会の意匠は管理された情報を伝達することに傾きすぎているような気がするのです。技術展示の商品展示化が行き過ぎているかなあ?と。
完成した売り物は仕方ないとして、技術や製品はもっとあらけずりに提示されたほうが来場者のココロネをとらえられるのではないでしょうか。
例えば米村でんじろう先生のような方の指導下、「でたとこ勝負の動態展示」のようなものが増えれば、展示会にももう少しハラハラドキドキが出てきて楽しくなるかな、などと夢想しています。
付記:村田製作所のステージスタッフの方に、少々下司の勘繰りを…;
- セイサク君の「ぐらり」は、ほんとうに意図せぬ偶然だったのですか?