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豊かさの中の閉塞感

宮木宗治
調査・研究本部本部長
イベント学会 理事

 どこか変だ。どこかがおかしい。歯車が狂い始めている。そんな印象を近頃のニュースを見聞きするにつけ、感じているのは私だけだろうか。世の中は、昔と比べて格段に豊かになった、と思っているが、本当にそうだろうか。モノや情報が巷に溢れ、コミュニケーションツールは驚くべき進化を遂げ、街には超高層ビルが林立してきた。街の姿や表情は、表面的には美しくなってきた。

 しかし、私の若い頃(約30年前)から忙しさは、いっこうに変わらない。モノや情報、人の流れのスピードにブレーキはかからず、驀進し続けている感がある。その一方で、規制緩和とは裏腹に、様々な約束事がものすごく増え、行動にブレーキがかかることもしばしばだ。かつては簡単に入れた場所は、セキュリティーカードがなければ入れない。個人情報保護法を持ち出すまでもなく、世の中、全体の空気は、どこか《窮屈さ》を増すばかりではないか。

 「豊かさゆえの閉塞感」。そんな時代状況の中で、イベントは、人々の心の閉塞感をブレークスルーする、極めて有効な手段ではないだろうか。イベントは、人々を明るくし、楽しくし、元気にする。イベントは、モノのない時代には、経済活動を活性化することに価値があった。オリンピックや万博、国体や地方博は、景気を浮揚させ、社会基盤の整備に多大な貢献を果たした。しかしモノが豊かになった時代には、イベントの価値は、人々の精神活動を昂揚するところに重点が移行してきたように思う。大規模なイベントよりも、身近なイベントへの興味や関心。誕生祝、入学祝、進学祝、卒業祝、結婚祝、同窓会といったライフステージにともなったイベント。あるいはバレンタインデー、ハローイン、クリスマスといったカタカナ催事から、正月、節分、桃の節句、こどもの日、母の日、七夕、月見等々の伝統的な催事まで、今では、皆、身近なイベントとして日常生活を彩っている。

 最近は、趣味の仲間が集まって行うイベントや町内会やNPOが企画するイベントも山ほどある。イベントの本質は、非日常でありながら日常化しているといっても過言ではない。そんな「日常化するイベント」にも、つきものはマンネリ化である。社会の閉塞感を突き破るには、イベントは、有効な手段だと言ったが、イベントもまたマンネリ化によって「おもしろくも、何ともない」「わずらわしい」存在になってしまう。

 それを救う存在が、「イベント業務管理者」の知恵と活動ではないだろうか。人々の心をイキイキとさせるプロフェッショナルは、今、最も時代が求めている人材に違いない。《豊かさの中の閉塞感》を、ブレークスルーことのできるスキルを持った人は、貴重な存在だ。イベント業務管理者は、管理者である以上に「企画者」「創造主」であって欲しい。無から有を創り出せるイベント業務管理者に期待するところ大である。