コラム イベントあれこれ
文化資源とイベント 第3回

喜多郎コンサート
〜長良川を奏でる〜
(2004日本イベント大賞応募  映像)
●鵜飼

 古事記や日本書紀の昔には鵜飼は日本各地で行なわれ、平安王朝文学も鵜飼の情景を描いている。

 道綱の母は愛と嫉妬に焦がれる「憂」の焔を「鵜」と篝火にかけた和歌を詠じた(「かげろふ日記」)。光源氏は六条院で帝をもてなすための鵜飼を催した。「東の池に舟ども浮けて、御厨子所の鵜飼の長、院の鵜飼を召し並べて、鵜をおろさせたまへり。小さき鮒ども食ひたり。(「藤裏葉」)」

鵜飼と長良川 ぎふポータルより
http://www.pref.gifu.lg.jp
●長良川に継承された幽玄美

 長良川の鵜飼については、大宝2年(702年)つまり大宝律令が制定された時代の古文書が正倉院に残されていて、美濃国戸籍に鵜飼をなりわいとする一族から嫁いだ女性のことが記されているので、すくなくとも1300年の歴史を持つことが確認できる。

 鵜飼は漁法として効率的だし、鮎が瞬間的に窒息死するので身が引き締まった鮮度の高い食材が得られることになる。延喜の御世(10世紀)には美濃の「鮎ずし」は宮廷に献上されるほどの絶品であった。岐阜金華山に居城した織田信長も、鮎鮨を江戸城に献上させた徳川家康も、闇夜に映ずる鵜飼の幽玄を愛でたという。

 鵜飼・鮨製造・献上までの仕組みは尾張藩と幕府の支援をうけて保護され、他の漁法は制限された。そのことにより長良川鵜飼だけが古式のまま継承された。戦前には喜劇王チャップリンが鵜飼を鑑賞してその古典美を絶賛している。鵜匠は現在では世襲の宮内庁式部職となって伝統を伝えている。

 周辺の環境も手厚く保護されてきた。長良川の背後に聳える金華山は「天領」「お留め山」として樹木の伐採が禁止され、明治からは宮内庁の御料林であったから人工によるダメージを免れた。

●極相林

 若い照葉樹林であれば生態環境のバイオマスも種組成も激しく遷移し年毎に変動する。しかし長い間自然が保たれ続けた金華山ではこの遷移が平衡に達し、自然生態系全体にわたって植生の変動が少ない安定した状態になっている。この植生は「極相林」と呼ばれ、稀少な価値を持っている。

 微妙なバランスにたった生態系が守られているということは、わずかなインパクトでそのバランスが崩れやすいということでもある。
 美しい水の恵み、鵜飼、和紙漉き、伝統工芸を育んでいる貴い自然をかけがえのない資源として次世代に受け継ぐためには、やはり地元の市民、行政と商業、ボランティアの力を一つにしていくことが必須である。長良川の市民はそれを実現した。この自然を守ろうというメッセージを届けるイベントが地域の人々の手によって長良川畔野外特設会場のステージで開催された。チャリティ・イベント「喜多郎コンサート〜長良川を奏でる〜」である。
 第1回目は大宝2年から1300年目の記念事業として2002年にスタートした。「僕にとってある曲は雲であり、ある曲は水である」と喜多郎は語る。このイベントは2004年「日本イベント大賞」の最終選考に残るほど高い評価を得た。

 自然のインスピレーションから受け取った、雄大さ、荒々しさ、暖かさ、冷たさなど様々な感情を独創的でイマジネイティブなサウンドで喜多郎は世界を感動させてきた。この夜河川敷の特設会場で流れた喜多郎のヒーリング音楽は長良川の水と歴史と心そのものとなって夏の夜に集う人々を深く包み込んだのである。(平成17年4月三輪祐児)
日本イベント大賞応募資料より イベントのちらしとコンサートを支えた市民の活動
主催 喜多郎コンサート「長良川を奏でる」実行委員会
実行委員会事務局 岐阜長良川温泉旅館共同組合
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